令和元年 母の日に思う事
母の日は過ぎましたが、今年感じた事を記録に残したいなぁ。
と思ったので書いておきたいと思います。
就職してからは、母の日には、電話をかけ、プレゼントを贈っていました。
結婚してからは、主人の母にも同じように電話とプレゼントを贈っています。
今年の母の日は、ふと自分の母に対しての気持ちよりも、自分が母親になったことを感じた年でした。
娘は今2歳9か月です。
会話ができるようになり、気分によりますが、着替えも自分でできるようになりました。
私の言っていることをコピーして言うので、イラっとするときもありますが、またそれも可愛いです。
娘が来てくれて、私は母になることが出来ました。
お母さんにしてくれてありがとう。
私は不妊治療で娘を授かりました。今は「不妊治療」という言葉は定着をしてきてます。
また、「妊活」という言葉もよく聞くようになりました。
その時代のせいか?私の周りの友達はたまたま治療をしている方が多く、そのことについても切り出せば共感することが多く話しやすかったです。
そして治療で、授かった子が多いです。
不妊治療はお金はもちろんですが、一番は精神的なダメージが大きいです。
年齢が上がれば、それだけ妊娠の確立も低くなります。これをすれば必ず妊娠するというものはありません。
また、自分だけではなく、旦那さんの協力がないと成り立ちません。
(不妊治療の話をすると長くなるので、機会があれば書こうかなと思います)
無事に妊娠してからは、妊娠中は恐ろしく眠気がつらかったですが、はつわりもなく、40週4日で生まれました。
生むときは十人十色と言いますが、まさしくそうだと思います。
私の場合、予定日よりも過ぎて、なかなか生まれて来ず、先生に診てもらったその日に心痛がきて即分娩室へ。
そのまま分娩室で生まれると思っていましたが、意識がもうろうとしている時に急に先生たちが4人位バタバタと入って来て、
看護師さんから
「赤ちゃんの心拍が弱くなったので、これから緊急帝王切開になます。今からオペ室に移動します」と言われ、
もうろうとしたまま「はい」と答え、とにかく無事に生まれてきて欲しい。と強く想った事を覚えています。
そして、そのままオペ室へ行き、下半身麻酔を打ち、あっという間に娘が生まれました。
すぐに「おギャー」と泣くかと思いましたが、泣かなくて「なんで泣かないの?」と一瞬焦りましたが、チューブで何か?を取り除いている音がして、その後、泣き声が聞こえて安心しました。
先生の迅速な判断で母子ともに健康でした。
主人は立ち合い出産で一部始終一緒にいましたが、「娘の心拍が停止していた」と言っていました。
「看護師さんは心配をさせないように、心拍が弱くなったって言ったんだよ。」と言っていたので、それを聞いた時にはぞっとしました。
退院してから、8か月頃までは、常に寝不足で、思考回路が回っていませんでした。
生まれてからが大変だよ~と友達に言われてましたが、ホントその通りです。
一人でも大変なのに2人以上子育てをしているお母さんは本当に尊敬します。
私の母は年なので、赤ちゃんの面倒を見る体力はありません。主人のお母さんもアメリカでお年なので、夫婦二人三脚で面倒を見ました。
夜中になかなか寝てくれず、ずーっと泣いていて、「なんで寝てくれないの~」って言って私も一緒に泣いた事もあります。
夜は主人とシフト制で、交代をしてました。
8か月からはもう寝ないと私の身体が持たないと思い、ふと本屋で見つけた寝かしつけの本の通りにやってみたら、
朝までずーっと寝てくれて、そこからは身体が楽になりました。
今年の、母の日は特に特別なことはしませんでしたが、娘と一緒に美容院へ行きました。彼女は人生初の美容院で、前髪を切りました。
かなりオンザ眉毛ですが伸びるから良しとします
そして私が髪を切っている間にお花を買ってくれました。娘が選んでくれたそうです。
私好みのかわいいお花です!!
母ちゃんは嬉しいぞ♡
ランチをお店のテラスで食べましたが、天気・気候も気持ちが良くて、こういう何でもない事が幸せだなぁ。(歌ありますよね)としみじみ思いました。
母の日には、娘をみて、お腹に来るまでの事、妊娠中の事、出産、出産してからの事を思い出しました。
これからも母の日には、日々成長していく娘をみて、今日書いたことを思い出すのかなぁと思いました。
それにしても保育園で何か制作したものをプレゼントしてくるのかと少し期待しましたが、全くありませんでした~。
ちょっとだけ期待していたので残念でした。
でもあなたがいるだけで充分よ~。
お読み頂きありがとうございます。